自宅に戻ったのは日付がとうに変わった、深夜二時のことだ。季節ごとに行う棚卸しは必要なことだとはわかっていても、どうしても手が足りない。プリズムストーンの運営を手伝ってくれるメンバーは皆家庭があり、遅くまで残って欲しいと頼むのは難しかった。結果として黒川が一人で確認をすることになる。業者に依頼することも検討したほうがいいのかもしれない。もう何度目になるかわからないが、プリズムショーが盛んになり、店も軌道に乗った。そろそろ一度、運営を見直す頃合いか。
革靴は脱ぎ捨てジャケットはソファの背にかけたまま。ネクタイを緩め、首元のボタンを一つ二つ外して、ショットグラスに注いだウイスキーを一息で飲み干した。一日ほぼ何も食べていない胃をアルコールが焼いていく。
この生活を始めて二年と少し。忙しくなるのはいいことだ。一年目のような波乱こそないものの、新しい中学生店長たちも、卒業していった彼女たちも、みな見違えるような成長を果たしている。それを間近で見られる喜びは、この歳になるまで知らなかったものだ。きらめきをもっと広めたい。大事な相棒の願いを叶えられているだろうか。まだ、できることがあるのではないか。裏で蠢くものに意識を払いながらやれることを探す日々は充実している。だから黒川は言わない。一度も、口にしたことはない。
煙草を一本、ゆっくりと吸ってから靴下を脱ぎ捨て、ベルトを抜く。リビングから続く部屋の扉を開けると、薄明かりが中に陰影を生み出していた。寝室として使っている部屋には、半年ほど前に買い替えたダブルベッドと棚が一つ。もともと、この部屋も持っていながら帰るようになったのはここ最近のことだ。それまではずっと外で飲み歩いたり、プリズムストーンのバックヤードや休憩室に泊まることも多かった。とにかく体力勝負の仕事だ、もともと体力はあるほつだとはいえ、睡眠を削ることはあまり考えなかった。それが今は可能な限り、ここに戻ろうと思う。相棒に、それは良いことだと柔らかな声で背中を押された。黒川にそうさせる張本人は、今や夢の中を駆け回っていることだろう。
大きな枕に頭を預け、掛け布団を半ば抱え込むようにして包まっている。枕元にスマショが落ちているのは、眠りに落ちる直前までいじっていたからだろうか。充電ケーブルに繋ぐと、一時間ほど前に彼の友人から送られてきていたメッセージがいくつか通知で残っていた。「カヅキ?」「寝ちゃったかな?」「また明日ね、おやすみ!」或いは普段着のままだから、寝るつもりはなかったのかもしれない。起きて、黒川の帰りを待つつもりだったのかも。しかし布団に入っていればそうもなろう。もともと夜更かしのあまりできない子なのだ。髪のセットもそのまま、明日はシャワーを浴びるところから始まることになる。
「あーあ、しょうがないなあ」
銀髪を撫で、柔らかな?に触れるとちいさな吐息が薄く開いた唇から滑り落ちる。安らいだ寝顔は、黒川の安堵をも誘う。力を抜ける場所になれている。警戒心が薄すぎるのは考えものだが、自分の目の前であればいくらでも油断して欲しい。まっすぐに慕ってくれる、若い龍。愛しい恋人だ。
二人が横になっても十分に余るベッドに身体を滑り込ませると、彼のにおいがふっと漂ってくる。高めの体温が心地よい。そこは、安眠の約束された場所。抱き締めると僅かに身じろいだ彼のくちびるが何かをつぶやこうとふにゃふにゃと開き。
「……れーしゃん……」
吐息に混ざった微かなそれ。それだけで、一日の全てが報われるようで、愛おしさが形になるのならばきっとこのベッドと言わず、部屋中が温かな色をしたハートで溢れていることだろう。夢の中で、俺と君は何をしてるの? その夢を訪れることができたなら。
ゆっくりと瞼を閉じて、それきり静かになった寝息がするりと染み渡る。幸福とは、直ぐそばにあるものだった。