香賀美タイガは自他共に認める仁科カヅキのファンだ。今日だって、アレクサンダーとタイガの目の前には酒瓶と空き缶が所狭しと並んでいる。食べ散らかした皿は既に空で、腹か満たされたならば、あとは飲むだけだ。肴は、つい数日前にあった大会の録画だ。
「カヅキさん、やっぱりすげえ」
42インチのモニターに映し出されたカヅキが炎を纏ってジャンプする。表舞台からはほぼ姿を消したとはいえ、その腕は鈍っていない。この大会にはアレクサンダーも出場しており、優勝確実と言われていたのをカヅキに打ち負かされたのだ。誰よりもその実力は認めている。得点は僅差だった。アレクサンダーに油断も、準備不足もなかった。ただ単に実力で、プリズムのきらめきで負けていた。わかっているからこそ悔しいのだ。未だ、アレクサンダーはストリートのカリスマの称号に手が届いていない。
録画を見たいと言ったのはタイガだ。その日は他の仕事が重なり、エントリーしていた大会を辞退せざるを得なかったのだ。その枠に滑り込んだのがカヅキだと聞いた時は、久し振りの対決に血が沸いたものだった。
そうだ、悔しさはある。しかし、ベストを尽くし、吼えたプリズムショーには一片の悔いもない。それでもまだ手の届かないところにいるカリスマ、そしてその先。手が届くと思った瞬間に、また一歩先を行く背中が遠い。
「俺も生で見たかった……くそ、なんでこんなときに仕事なんか入んだよ」
「スケジュール管理くらいちゃんとやっとけ」
「っせーな、わかってるっつーの」
口を尖らせる。ぐい、と煽った缶が空になったようで、タイガはアルミのそれを片手で凹ませると次の缶に手を伸ばした。何本目かはもう数えていない。飲み過ぎだと言うつもりはない。明日の予定は既に決まっている。二人とも、午後や夕方からの用事で、あとは各々の自由時間だ。プリズムショーの練習やトレーニングに費やすそれを、たまの休暇にすることを覚えたのはいつからだったか、我武者羅にやっていた頃に比べ、量より質を追求するようになったのは確かだ。無論、量を極端に減らしているわけではなく、それはタイガにも言えることだ。兎角、怪我の多い競技だ。体を壊しては元も子もない。エーデルローズの指導者がそもそも怪我で引退を余儀なくされたこともあり、そのあたりはしっかり管理されている。
余暇が重なった。意図してスケジュールを調整しなければ、滅多にあることではない。互いにストリート系のプリズムスタァとして、忙しくしている身だ。ときには海を渡った公演もある。半月、下手をすれば一ヶ月以上顔を合わせないこともある。この日も、アレクサンダーがタイガの顔を見たのは、実に二十日ぶりのことだった。
だというのに、その視線はテレビ画面に釘付けで、二言目にはカヅキ、カヅキときた。その一人前にはアレクサンダーも演技をしているというのに、それには一言コメントがあったかどうかだ。仁科カヅキのプリズムショーが、かつてのチャラチャラした生温いものから脱却し、本人のいうフリーダムなものであること、そしてそのきらめきがトップクラスであることはアレクサンダーも認めている。しかし。
「おい」
「んだよ、まだ見てんだ」
何度目かわからない再生に食い入るタイガは、最早アレクサンダーを振り返りもしない。口を間抜けに半開きにして、垂れ目の瞳を輝かせている横顔。もう成人した男だというのに、いつになっても少年のような純粋さを感じさせる。そんなところが女に受けるのだと言っていたのは、今はもうスタァとしてよりも財閥の御曹司としての立ち回りの増えた十王院カケルだ。本人はそんなものを意に介することなく、相変わらず女は苦手らしいから、きっとタイガが女に靡く日はまだ来ない。
なにより、アレクサンダーがいる。ライバルとして、認めたくはないが仁科カヅキのフォロワーとして、そして恋人として。
そんな相手と過ごす夜だというのに、画面の中の他の男ばかり追いかけて――たとえそれがアレクサンダー自身も認める男だとしても、気に入らないことは気に入らない。
曲が終わるまで待ってやったのを感謝してほしいくらいだ。また再生するつもりか、リモコンに手を伸ばすタイガの腕を掴み、ラグに引き倒す。文句をつけようとした口が何かを発する前に塞ぎ、舌をねじ込んだ。テレビを切って、見開かれた緑から視線をそらさず腕も足も抑え込むと、やっと抵抗を思いついたのか体をバタつかせてくる。
「ん、ん――! んっ、んん!」
手の大きさも腕や足の長さも、ウエイトもアレクサンダーが優っている。高校の頃からさらに縦にも横にも伸びたアレクサンダーにとって、二十センチ近く差のあるタイガの自由を封じることなど容易い。奥に縮こまった舌を撫でながら、歯の一つ一つを辿り、唾液を流し込んだ。わざとらしく音を立てて口を吸う。脚の間に挟み込ませた膝で股間を押し上げてやれば、面白いくらいに腰が跳ねた。あとで嫌という程触ってやろう。
「んんっ、ん、はぁっ、てめっんむ、ん――っ」
息継ぎの間も碌に与えないまま、やわい粘膜を愛撫し、探り、見つけた性感帯を追い詰める。背を浮かせたタイガの胸がアレクサンダーのそれにぶつかって、行き場のない熱をその身に閉じ込めて渦巻いている。引きずり出した舌を絡め、腰から尻のあわいまでを撫でてやれば、火のついた体は途端に大人しくなった。
ついこの間まで、恋人という名のない関係だった。それでも、行為は随分前からしていたせいで、この身体についてはもしかすれば本人よりも知っていることは多いのかもしれない。それはいい、こんな顔も、体のどこが弱いのかも、快感に泣き喘ぐ姿も、全部アレクサンダーだけのもの。
「ん――……っ、ふ、……は、ぁっ、は、っは、ぁ、あ、くそ、」
ぎ、と涙を浮かべた目で睨み付けてくる。そんな瞳をしたところでアレクサンダーの情欲を煽るだけだと、何度経験すれば覚えるのだろう。
鮮やかな緑にアレクサンダーの獰猛な笑みが写り込んでいる。怯えは一切なく、もう一度と唇を寄せると、迎え撃つと言わんばかりにかじりついてきた。首の後ろに重みがかかる。縋るような可愛いそれではない、引き寄せようと力を入れている。
タイガの唇は薄い。散々に吸ってうっすら染まった赤は、今のところアレクサンダーしか知らない色だ。その奥にある、唐揚げやねぎ塩だれにビールの味の舌に色気がないかと言われれば、そういうわけでもない。ざらついたおもてを擦りつけ、重ねた腰を押し付けるだけで途端に朱を頬に昇らせる。犬歯を立ててくるのすらじゃれているように思えるほどだ。更に深く、食らってやろうとしたところで、額を力いっぱい押し返された。口の周りをべたべたにして、腕に力が入らないのを精一杯に突っ張っている。
「やいてんじゃ、ねえよ」
「…………、るせえ」
「ったく、しょうがねえやつ」
くしゃくしゃと髪を荒らしてくる手のひらが、アレクサンダーを抱き寄せる。白い首に甘く歯を立てると、喉がひくりと震えた。痕をつけてやりたい。タイガの白い肌に、赤い鬱血はよく映える。一度噛み跡を付けたときは語彙のないなりに散々に罵倒されたものだが、タイガだってアレクサンダーの身体に幾つも痕跡を残している。
シャツを引き抜いたアレクサンダーが手をかけると、腰を浮かせてハーフパンツも一息に引き抜いた。しなやかに伸びた脚が腰に巻きつけられる。
「カヅキセンパイはもういいのかよ」
「また後で見る。お前とすんのだってす、……嫌いじゃねえし?」
「素直に言えよ、俺のちんぽにあんあん言わされんのが好きだってよ」
「好きじゃねえ!」
吠えるタイガを突き上げてやれば「ひっ」可愛げのない声を上げる。それが今日はどんな色に変わるだろう。
ゴムもゼリーも手の届く場所に置いてある。ラグの上に散る黒髪に一つ口付けて、唇を舐めて見せるアレクサンダーの余裕が憎らしい。鼻先に噛み付いて、「あんあん言わせてみろよ」その言葉を後悔することになったかどうかは、翌日の二人のみが知るところである。