クーさんは、セックスが好きらしい。
というのも、別にクーさん本人に確かめたわけではないけれど、二人で会う時はだいたいクーさんの部屋かホテルで、外を歩くことは少なくて、どこか遠出するにしても俺もクーさんも忙しくて予定が合わないのだ。だから、必然的にプリズムストーンの二階の奥、クーさんの私室にお邪魔するか、近場のホテルになる。そして、初めは話したり雑誌読んだり、持ってったお菓子を食べたり、プリズムストーンの新作のケーキを摘み食いさせてもらったりだけれど、気が付いたら俺はソファやベッドで下半身の服はなく、クーさんが足の間に入り込んでいる。クーさんだってアラサーとか言うけど若いわけだし、そういうことがしたいというのは普通の欲望だと思うから、初めてセックスしたいと言われた時も俺はすぐに頷いた。
それから半年あまり。ぎしぎしと揺れるベッドにも、落ちそうになるソファにももう慣れた。ホテルのベッドはさすがそのためのもので広くて柔らかくて、やるならそっちがいいにあ、なんてのは言わない。俺の腰を掴んではあはあと呼吸も荒く、目を閉じて快感を追いかけるクーさんは確かに気持ちよさそうで、腰を振るのが早くなると、そろそろイくんだなってわかるようになった。太くて硬いペニスはいろんないろのゴムの中に、いったい何度射精したのだろう。気がついたらそんなことをしていて、セックスをすると俺は疲れて眠ってしまって、朝になるとクーさんはもう階下の店の準備をしている。クーさんと付き合い始めて、そんなのばっかりだから、きっとクーさんはセックスが好きだ。
俺としては、正直、あんまり、やりたくない。セックス自体には興味があったし、クーさんのことを考えて自慰をすることはある、けれど、実際やってみたら全然気持ち良くないし、苦しいし、痛いし、なんなら気持ち悪い。入れる前に中をきれいにしないといけないし、シャワーで洗浄するのもされるのも、しんどいばかりだ。なにより、出すところなんか見られたくない。三回目くらいまで、クーさんがやってくれていたけど、それ以降は洗ってからクーさんのところに行くようになった。どうせ、今日もセックスするんだろうな。そんな感じ。クーさんと会ってセックスしなかったのは多分片手で足りるくらいの回数だ。週に二回は会ってるのに。しなかったときだって、俺が翌日朝早いからって理由で、だってセックスした翌日は疲れていつもの時間に起きられない。
そんなだから、俺は尻は性器じゃないって改めて認識した。肛門は出す場所で、ちんこを入れるなんてどうかしてる。尻でも気持ち良くなれるなんて情報はインターネットを浚うとすぐに出てくるけれど、その悉くを試してみても、やっぱり快感は得られなかった。
それでも、クーさんは気持ちがいいらしい。正面からやってるときに見上げる顔、後ろから入れられてるときにちらっと見える顔。無防備で、だらしなく開いた口、どろりと欲情した海の色、服もまともに脱がないでちんこだけ出して、猿みたいに腰を振って、どんだけ必死だよって、そんな姿はセックスのときにしか見られない。あ゛ー、なんて唸り声、詰めた息、中に出される感覚。オナホ扱いかもしれない。けれどどれも、その瞬間は俺だけのものなら、それでいい。
なにせクーさんの交友関係は広く浅く深く、女のみならず男にもモテるのだ。聞いた話ではセフレもいるとかなんとか。そんな人が俺のことだけを見てくれるなら、俺の身体一つなんて安いものだ。いつか気持ち良くなるのかもしれないし。その兆候が見られないのは残念だけど、もしかしたら俺には尻で気持ち良くなる才能がないって可能性もあるし、それはいい。まあ、望みを言うならただひとつ。三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい、なんてやつ。無理だろうなあ。繁忙期なんて実質社員一人で切り盛りしてるような店は大忙しで、クーさんに休む間がないのなんかよくわかっている。その合間を縫って俺と会う時間を作ってくれているのだから、その限られた時間でやることはやっぱり好きなことがメインになって当然だ。それ以上望むのは我儘でしかない。諦めてるわけじゃないけど、やっぱり諦観はあったんだろう。
だから、それが、まさか叶うなんて思ってもみなかったんだ。
俺は何かとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。それに気がついたのは、カヅキくんと付き合い始めて約半年、初めての秋を迎えた日のことだった。
俺の恋人の名前は仁科カヅキという。高校二年生、ストリートのカリスマと呼ばれるプリズムスタァ。今や日本中、もしかしたら世界でも知られる存在だ。そんな彼とは、ひょんなことで知り合った。俺の仕掛けた店の店員に、彼の後輩がいた。彼女のマイソングはカヅキくんが彼女に譲ったもので、カヅキくんはそれを幼馴染から貰い受けて、という事情が呼んだひとつの事件から、知り合いの子、知り合いのお兄さん、挨拶をするような間柄になった。店が店なものだから彼一人で訪れることはなく、何か用事があるから来る。そこではやはり女の子ばかりだから、必然的に唯一男の俺のところにやってくる。雑談の中で、彼がプリズムスタァの中でも俺のことをいっとう尊敬してくれていることを知って、恥ずかしくもあり、しかしそれ以上に柄にもなく嬉しくなったものだ。憧れていた。少年に夢を与えることができた。それっていつか俺が恩師にしてもらったことの、何よりの恩返しじゃないか。
彼のことを意識するようになったのは、その頃からだったように思う。とはいえそういう目で見ることはなかった。そもそも走り始めたばかりの店はいつだってトラブルやハッピーで溢れていてそれどころじゃなかった。それが変わったのは、俺が黒川冷だと彼が知ったときなのだろう。あの日、俺は久しぶりに人前で素顔を晒した。隠していた理由は単純だ。女の子向けの店の仕掛け人が、真反対に位置するストリート系の男が仕掛けたなんて知られたら、客足が遠のくだろう。それに俺は現役当時はやりたいようにやっていて、お偉いさんからも良くは思われていなかった。そのあとに齎されたプリズムショー界の改変は、俺に取ってもそういった壁をある程度低くしてくれたものだ。今も店は続いているし、プリズムストーン出身のプリズムスタァも生まれた。喜ばしいことだ。そのうちの一人がカヅキくんの後輩の女の子で、いわば俺に取ってはキューピッドみたいなものなんだけど、彼女もまたカヅキくんに恋する女の子なので口が裂けてもそんなことは言えないのだった。
そんなカヅキくんのことで、俺はどうやらとんだ思い違いをしていたらしい。
付き合い始めて、キスしてセックスして、それがトントン拍子に進んだものだから、てっきり俺は彼がそういうことを好きで、望んでいるのだと思っていた。誘えばホイホイ部屋に遊びにくるし、ホテルにだっていくし、少しくっついてたらすぐ足を開く。誰かと付き合ったことはないと言っていたし、セックスも初めてだそうだけれど、俺だって男とするのは初めてだった。入念にやり方を調べて、彼の体を準備して。入れる方でいいかと一応聞いたら、クーさんの好きな方でと彼は言った。そして、俺たちは繋がった。いままでの数々のまんこがなんだったのかというほどに気持ちがよかった。
それからは、彼と会うときはほぼセックスをした。数回目からは彼が自身で後ろの準備をしてくるものだから、彼もそれを望んでいるのだと思って嬉しかったものだ。カヅキくんの控えめサイズのちんこは勃起することの方が少なかったけれど、アナルセックスは勃たないこともあると聞いていたからそんなものだろうと、今思えば目を逸らしていたのだろう。あまり声を出さないのは恥ずかしいからかな、ちらちら向けられる視線は誘っているのかな、出さなくてもイけるもんなのかな、なんて思い上がりも甚だしい。俺は気付いていなかった。彼が、セックスよりも、もっとしたいことがあるという事実に。
秋、試験が終わったあとに聖と飲んでいて、カヅキくんの成績がとても優秀だと聞かされた。文武両道を地でいく彼は、特に理数系に優れているらしい。高専出で好きなことばかりは吸収したけれど、満遍なくなんかは全然できなかった俺に取ってはそれがものすごいことに思えて、カヅキくんに言ったのだ。
「試験の成績すごくよかったんだってね、なんかご褒美あげたいな、して欲しいこととかない?」
ってね。そしたら彼はなんて言ったか。デートしたいとか、焼肉とかかななんて予想ははっきり言って綺麗に裏切られた。
「朝、起きるまで一緒にいてほしい……」
確かに一緒に起きることはなかった。カヅキくんは早起きだと聞いていたけれど、セックスの翌日はさすがに疲れているのかその時間帯には起きてこない。学校には間に合うように目覚めるから俺が起こすこともなく、開店準備をしている俺のところに少しだけ顔を覗かせて、出て行くのが常だ。男同士だし、あっさりした付き合いになるものだなあなんて呑気に構えていた俺は、カヅキくんのことをその実全然見ていなかったのかもしれない。だってそれを言い出すまでに、随分と長い間悩んで迷って口を開けたり閉じたり、ついキスがしたくなるのを我慢して待って、それでやっと得た彼の望みだ。思い返せば一度たりとも我儘を言ったことのないカヅキくんの、初めてのお願い。それがこれ。
「そ、そんなのでいいの? ほんとに?」
拍子抜けして聞き返した俺は何もわかっちゃいなかった。こくこくと頷くカヅキくんはどこか必死だった。それでも俺はまだその答えが不思議でたまらなくて、いつもみたいにセックスして、気絶するようにカヅキくんが眠って、適当に片付けて俺もまた目を閉じて。
そして、その訳を知る。
パブロフの犬はいつも同じ時間に目がさめる。目覚まし時計が鳴る直前、まだ寝ているカヅキくんを起こさないようにアラームを止めて、まだ薄暗い部屋の中で天井を見上げる。静かな寝息にみちる部屋、外の世界は起き始めているのか鳥の鳴き声や車の走り抜ける音が聞こえてきている。いつもは起床五分で店の準備に取り掛かるから、こんな音を聞くのは久しぶりだった。隣を見れば、幼さの増した寝顔を隠すことなくカヅキくんが眠っている。ゆっくり寝顔を見ることもあまりなくて、ついしげしげと眺めてしまった。かわいいなあ。ささやかな我儘を叶えるつもりが、もしかして俺の方がいい思いをしているのではないかというくらいに、至福の時間である。
カヅキくんが起きるまで、そう時間はかからなかった。朝日が差し込んできたのもあるのだろう、もぞりと動いた彼の、琥珀色の瞳がゆっくりと顕になる。意外と長い睫毛が重たげに瞬き、眠そうな瞼が持ち上がって、まだぼんやりとした瞳が俺を捉えて。
「……くぅ、さん」
それはもう、いままでに見たことのない、笑みを浮かべたのだ。ふにゃふにゃしていて、なんの力も入っていない、嘘偽りのない笑み。思わず抱きしめた俺は間違っていない。くふんと吐息を漏らしたカヅキくんがぎゅっと擦り寄ってきて、「きもちい、」全身に温もりが溢れていく。背を、髪を、頬を撫でて額にキスして。そうして見せる彼の表情の一つ一つを取っても、喜びに溢れている。もっと、ささやかな声でねだられたらいくらでもしてあげたくなる。こんな顔、こんな声、知らない。比べること自体が間違っているのかもしれないけれど、彼が望んでいると俺が思っていたセックスの間の姿とは全く違う。甘えてくる仕草だって、そうっと触れてくる手のひらだって、そんなの初めて知った。声を抑えることなく、甘やかな笑い声がため息に乗って、絡まる指も、脚も、すぐに応えてくれる。
それが、彼が完全に覚醒するまで続いた。多分、時間にしてほんの数分のことだ。寝覚めはいいらしい。そして甘えていたことも、寝惚けていたこともしっかり覚えていた。着替えの傍ら、恥ずかしそうに視線を彷徨わせるカヅキくんは、それでもどこか嬉しそうで。
「カヅキくん、ああやってくっつくの、好き?」
「……けっこう、」
それはかなり好きってことだ。もしかして。今を逃したら確認する機会はあるけどなくなってしまう。
「……セックスより?」
半年余り、俺は一体何を見てきたのだろう。目の前が真っ暗になって、その日の仕事は散々だった。
名誉挽回しなければならない。真に君の望むことをしてやりたい。でも、セックスもしたい。二兎を追ってどちらも得てみせる。見てろよ、俺の本気はこれからだ。絶対君に、気持ちいいって言わせてみせる。