初めて会ったのは、カヅキがまだ小学校に上がる前のことだ。その頃は父がどんな仕事をしているのかも、どんな人間を相手にしているのかも知らなかった。ただ、父の手が多くの人の身体に美しい紋様を描き出すのが好きだった。
母はずっといなかった。男一人、子一人。二人の世界は狭いようで広く、広く見えてほんの僅かしかない。父の仕事場がカヅキの揺籠だった。自分を撫でる手が美しいものを生み出す様を、カヅキは物心ついたときから、そのずっと昔から見て育ってきた。いつか自分も、そんな未来を思い描いたのもごく自然なことだ。父の背を見て、その技を、世界を吸収していったカヅキは中学を卒業するとともに父親を師と仰ぐようになったのである。
高校に通いながら勉強を続け、己の肌に初めて墨を入れたのが卒業式の日のことだ。消えないものを刻み込む。無口な父を頷かせるまでには至らなかったものの、それを見た客が目を留めることもしばしばあった。
黒川冷はその中のひとりであった。幼いころからカヅキの父のもとに通い、その全身には様々な紋様が描かれている。彼が来るのは、大抵まとまった金が手に入ったから、というときである。一ヶ所に入れるとしてしばらく通い、姿を見せなくなったと思ったら突然訪れてくる。幼いカヅキを邪険にせず、カヅキが父の技を間近で見ることも拒絶しない。父の手が空いていないときは、遊び相手にすらなってくれた彼が、カヅキは好きだった。
「カヅキくんも彫師になるんだ?」
「はい! 今いろいろ勉強してるんです」
「そっかそっか、じゃあ俺は一番最初のお客さんってことで予約しとこうかな」
その日は、しばらく遠方に行っていたという冷が、酒の瓶を抱えてやってきたのだった。カヅキが出した食事をいつだって舌鼓を打ち平らげてくれる大人が、なにやら難しい話をした後に、カヅキの広げていた本を覗き込んできた。チラシの裏、メモ用紙、様々な紙に描かれた紋様は父のものを引き継ぎながら、どこか全く別の世界を見ている。俺はこれが好きだなぁ、そうやって見てくれる冷が、彫師になると決意したカヅキの背を押した。
カヅキが冷の肌に触れるまでに、それから数年を要した。資格取得に向け動きながら、父のもとで施行したとき、カヅキは二十歳を過ぎたところだった。
どこに、どんなものを入れるのか。諸肌脱ぎとなった冷に、カヅキは恐る恐る手を伸ばす。ずっと見てきた身体だ。無駄な肉のない、完成された男の身体。日に焼けた肌は鞣した革のような艶があり、そこに刻まれた色彩が雄を匂い立たせる。
「そんなにまじまじ見られると恥ずかしいな」
「あ……すみません、……俺、ずっと触れたかったんです、冷さんに……」
そしてそこに、消えないものを残したかった。愛の告白めいた言葉をため息に乗せていることに気が付いているのだろうか。冷の視線をよそに、カヅキはうっとりと、息づく肉体に触れていた。この体をキャンバスとする父が、羨ましかった。憧れた。いつの日か、自分も。――それがやっと実現する。なぞる指の行く先を追いかけた冷は、この世界に魅了された青年をじっと見遣る。
「君は、どんなものを彫ってくれるんだろうね」
師である父親をして、逸材と言わせたカヅキがその一歩目を踏み出した。そしていつか蛹は蝶になる。きっとその羽化もまた、己の目の前で――確信めいたものを懐き、冷は笑みを深めたのだった。