プリズムストーンの運営兼MCとしての生活も軌道に乗り、新たなスタァが誕生していく中で黒川冷はちょっとした悩みを抱いていた。というのもプリズムストーンでは女子中学生たちの相手、客層は小学生からせいぜい高校生、オーナーはモモというペアともだし、プリズムショー関連で関わる人間は限られていて、氷室聖を筆頭に男か、母親世代の女性。言ってしまえば、女っ気がないのだ。黒川の射程範囲はそこそこ広いつもりではあったが、そういった相手として声を掛けられる存在が皆無。今までなんだかんだと女に困ったことのなかった黒川冷、二十代の後半にして初めての女日照り。それを行きつけのバーで愚痴ったのを聞いた顔見知りに言われ、会員制の掲示板に誘われたのがつい数日前のことだ。年齢、年収、そういったものを登録しなければアクセスできない掲示板は、所謂そういうことを目的とした出会い系だった。本格的に付き合う相手を探してもよし、行きずりの関係を求めてもよし。黒川が覗いたのは、一晩のアバンチュールをという板で、そこそこの賑わいを見せていた。
「にしてもとんとん行きすぎて怖くなっちゃうね」
読み流していた記事の中の一つ、黒川が声をかけた相手と今まさに待ち合わせをしているのである。帽子を目深く被り、いつもとはフレームの違う眼鏡を用意した。服装はスーツなんて着ていられない。新宿駅の東口、この辺りに立っていると見える風景を写真で送った。あと10分くらいで着きますと返信があった。
さみしくて、一晩一緒にいてくれる人を探しています。身長は160、日焼けしてて、髪の色抜いてても大丈夫な人。平均的な体つきをしていそうだ。簡単に記載されたプロフィールには写真がなく、しかし一晩なんていうくらいだからそれなりのことには付き合ってくれるのだろう。ちょうど溜まってるしと名乗りを上げたら、すぐに返事があった。都心近くに住んでいるらしい相手は、日時の候補をいくつかあげてきて、黒川がそのうちの一つを選んだ。それが今日、この時間というわけだ。最近イライラしてるから週末は休めとモモに言われ、これ幸いと遊ぶことにした金曜日の夕方。
仕事終わりの勤め人が駅に吸い込まれていくのをぼんやりと眺めていたら、尻ポケットに突っ込んだスマショがメールの着信を知らせてきた。ただの数字とアルファベットの羅列であるそのアドレスは、掲示板でのやり取りのために自動で生成されるものだ。
『東口つきました。黒のパーカーでジーパン履いてます』
男と会うのになかなか珍しい格好だ。まあ、やれればどうでもいい。人の増えてきた場所は待ち合わせにはあまり向かなかったのかもしれない。添付されてあった写真のスニーカーと、黒いパーカーを探す。はっきりとした緑色のラインの入った靴は案外目立つもので、直ぐに見つけることができた。フードに覆われた頭がきょろきょろと辺りを見回している。間違いない。馬鹿みたいに溜まった性欲をぶつける相手だ。
「ねえ、君」
腕を引く。警戒に固まった身体は、さっきのやり取りを見せるとほっと緩んだ。そのまま人波を避けて道の端に寄りながら、そういう方向に歩いて行っても大人しくついてくる。素直なのか、慣れていないのか。そういえば年齢は書いていなかったけれどそこそこの年収があることが条件だと聞いたから、若いわけでもないだろう。
「このままホテルでいいの」
喧騒に紛れるくらいの声を拾った相手が一つ頷いたのを確認して、黒川は青に変わった信号を踏み出した。頭の中は早く柔らかな体に突っ込んで出すことで一杯だった。
ホテルは綺麗めなところを選んで、部屋は適当。エレベーターに乗ったところで腕を離した相手は黒川の後をちゃんとついてきた。目線はずっと下を向いていて、顔はまだ見られていない。かわいい子だといい。ぱっと見た感じでは胸のサイズは期待できないから、せめて足か尻。着痩せするっていうならそれはそれ。開けたドアの向こうに先に入らせて、鍵を閉めて、やっと帽子を脱いだ。小柄な後ろ姿がいかにもなベッドの前で動きを止める。ぎゅっとサイズの大きなパーカーの裾を握って、落ち着かなさそうだ。そのためにあの掲示板に書き込んだのだろうに、変なの。まあ、それもどうでもいい。まさか処女だとでも言うまい。
「ねえ、イチガツさんだっけ、そろそろ顔見せてよ」
それとも無理矢理脱がされて、一晩中ハメられるのがお望みか。どっちにしろ寝かせるつもりはないんだけど。しかし相手は大袈裟なくらいにびくりと身体を揺らし、そして振り返った。
マスクの下の口が一体どう開いているのかはわからない。それでも黒い縁の眼鏡の下の、もう何度も見たことのある茶色の大きな目が溢れんばかりに見開かれ、黒のパーカーの下から現れた見覚えのある銀髪は、間違えようがなかった。なぜ、彼がここに。
「クー、さん……?」
一晩のアバンチュールを望んでいたさみしがり、ハンドルネーム一月は、今をときめくプリズムスタァ仁科カヅキだったのである――
イチガツと書いて、カヅキと読むのだそうだ。思い起こせばカヅキの名前をしっかりと見たことはなかった。プリズムスタァとしての活動は仁科カヅキとして行っているから、それも当然といえば当然である。それにしても。
「本名をあんなとこで出すなんて何考えてるの……」
「しっかりしたところだから、って聞いてたからそうしたほうがいいのかと思って」
「いやいやいや……しっかりって、そういう意味じゃないし」
予想の斜め上をいく現実にソファの上で伸びていた黒川は、ハンドルネームの由来を聞いてひどい頭痛に襲われた。額に手を当て天井を仰ぎみる。インターネットの普及した社会だというのにネットリテラシーの教育は未だ浸透していないのか、それとも華京院の教育過程が遅れているのか。あんな不特定多数、しかもそういう目的の人間がうろちょろしているサイトで本名を出すなんて危険極まりない。あの仁科カヅキがとバレたら大事なのに。ベッドの上でちんまりと膝を抱えているカヅキは一体どこであんな掲示板を知り、どうしてあんな書き込みをしたのだろう。
「だいたいどこで知ったんだい、あんなサイト」
「この間仕事で一緒になった人が教えてくれました。その――そういうサイトだっていうの、知らなくて」
名を聞いたら知っていた。未成年の、しかもまだ高校生の、将来有望な相手に何を教えているのか。氷室聖に警告しておかなければなるまい。もしかしたら他の二人も聞いているかもしれないから、関わらないように釘を刺すのも忘れてはならない。芸能界の闇は時として年齢も立場も関係なく牙を剥く。
「じゃあどういうつもりで書き込んだの? たまたま俺だったからよかったけど、知らない相手だったらどうなってたかわからないよ」
「そんな! 俺だって多少は――っ」
あのやり取りの画面だけを見せられてほいほい付いてきてしまうくらいだ。そもそも、黒川の書き込みへの返信もいやに早かった。情報の出し方といい、警戒心が低すぎる。危うい。このままだとどうなるのか思い知らせてやるべきだ。そう判断した黒川の動きは早かった。声色を敢えて低く抑え、気色ばんだカヅキがそれ以上を言葉にする前にベッドにひっくり返す。黒川の溜息が落ちてやっとシーツに身体を押し付けられていることに気が付いたのか、足をばたつかせてカヅキが「クーさんっ」叫んだ。
「――多少は、なんだって?」
「う、ぅ……」
ストリートのカリスマと呼ばれ、ダンスバトルの腕は高い。やっかみなどもあるだろうが揉め事も収めて、高架下を自覚なしとはいえ仕切っていたのだ。この体躯で、慕うものも多い。それなりに腕っ節に自信があったのだろうが如何せん黒川は不良だった。喧嘩に明け暮れた日々から一転して輝かしいプリズムショーの世界に身を投じたとはいえ、衰えたわけではない。
こんな悪くて君より強い大人は沢山いるんだよ。腕を掴む手に力を込め、「カヅキくん」君は反省するべきだ。
「……ごめんなさい」
こういう素直なところは美徳だろう。乗り上げていた背から退いてやると、カヅキはベッドからずり落ちて小さな背をさらに丸めてしまった。
さみしくて、一晩一緒にいてほしい。他の記事よりもずっとシンプルで、雰囲気の違うものだからこそ周りにスルーされていたのだろう。他の記事はみんな相手を求める言葉で飾られていた。常に人が周りにいるだろうカヅキが、なぜそんなことを書き込んだのか。黒川はそれが疑問で仕方がない。望めば、それこそユニットを組んでいる二人なら、そばにいてくれるだろうに。
しゃがみこみ、俯いた顎を持ち上げる。寄った眉根、不安なのだろう、揺れる瞳が僅かに潤んでいる。だいたい寂しいなら家族と一緒にいればいいのだ。こんなにまっすぐな気質をしていて、家庭環境が劣悪だとは考えにくい。一晩セックスに溺れる予定は完全に狂ったものの、他でもない己に憧れているという子供に何かあっては後味が悪い。
「ご両親が心配するよ。家まで送るから、帰りなさい」
ああ、これでまた次の相手を探さなければならない。その前にサイトの運営者にも連絡しなければ。未成年が、十八未満の子供もがこのサイトに出入りしていると。
「うち、親ずっといないんです。海外で仕事してて」
「……え?」
どこにいるのかと聞けば日本から遠く離れたスペインで、黒川がカヅキと知り合う以前からそうなのだという。幸い、頼る大人は身近にいて親戚も東京をはじめ、日本国内にいるから学校の転入はどうにかなったらしいが、それでも帰る家はいつも一人。
コウジは母親と二人暮らしで、最近は付き合い始めた涼野いとと、その家族とバンドも始めて忙しく楽しそうにやっているから邪魔をしたくない。ヒロもお母さんとまた一緒に暮らせるようになったと喜んでいた。みんなといる時間は楽しいし、プリズムスタァとしての活動はせわしなく、余計なことを考える余裕はない。しかし、家に帰ってみれば幼い頃から慣れ親しんだ家にはたった一人、広い部屋には誰の声もしない。それが普通になって、それで大丈夫だと思っていたのに、ふと、感じてしまう。
「仕事に没頭しちまえばいいのかとも思ったんですけど、この年齢だと遅くまでは働けないから」
常に人のいるエーデルローズは今や人気養成所、寮も入寮待ちがいるくらいで、優先させてもらうのはしのびない。通学が可能な範囲に住んでいるから、誰もいない家に帰るしかないのだ。
そんなときに声をかけてきたのが、カヅキにあの掲示板のあるサイトを教えた男だった。魔が差した――とでもいうべきだろうか。限りなくぼやかした、周りに埋没しそうな短い記事を書き込んだのは、衝動的なもので、しかし手を伸べてくれる誰かを望んでいた。
ぽつぽつと話してくれたカヅキは、膝を抱えたまま黒川の肩に寄り掛かっている。それだって黒川が肩を抱き寄せてやらなければしなかっただろう。強く、頼れる仁科カヅキ。そうあらなければならない彼が頼れるのは、顔の見えないインターネットしかなかったのだ。
「にしてもやっぱりあんなサイトに書き込むのはよろしくないね」
「はい……」
しゅんと悄気た様子のカヅキの髪を撫でたら、案外柔らかくて癖になりそうだった。男にしては細い首筋、小さな身体。ふと、過ぎったのはいたずら心かそれとも欲求不満からくる戯言か。おそらくはどちらともであり、どちらでもない。
「――ねえ、やっていいなら一晩付き合ってあげるけど、どうする?」
「やるって、何をですか?」
「何をって」
きょとんと首を傾げたカヅキに乾いた笑いを上げてしまったのは仕方のないことだ。あんな掲示板に、知らなかったとはいえ書き込んで、こんなホテルにまでのこのこついてきて、この後に及んでそんなことを言うのか。惚けているのか、それとも純真無垢で真っ白なのか。後者に違いないと、ベッドに引きずり上げて、ジーンズの布越しに足のラインを撫でてやる。途端に真っ赤になったカヅキは処女のにおいすら立ち昇らせて、口をぱくぱくとさせてまるで陸に上がった魚のようだ。
「セックスだよ」
俺、かなり溜まってるから君の書き込みにレスしたんだよね。制欲発散に付き合ってくれるなら、一晩一緒にいてあげる。逆に、釣れたのが俺でよかったね、君を知っていて、だから君がこんなことをしても誰にも内緒にしてあげる。寂しくてたまらなくて誰かに助けを求めている、仁科カヅキの弱い姿のことを。
ひく、と息を呑み、せっくす、と繰り返したカヅキはその意味くらいはわかるのだろう。真っ赤にさせた顔がさらに赤くなっていく。黒川とて男との経験はない。しかしどうやるかくらいの知識はあるし、幸いにしてここはラブホテル。大概の道具は揃っている。
「そんな、でも、」
まあ入らなくても足くらい借りてもバチは当たらないのではないだろうか。あんな場所に書き込まれた記事が発端なのだ、騙されたといっても過言ではない。これが見ず知らずの野郎だったら確実に殴っていたし、女だったとしても丸め込んでセックスに至らせるに違いない。だってヤりたいもん。これが知り合いの、なおかつ自分を慕ってくれている存在だから譲歩しているのだ。問題になるのも面倒だから、同意を得てからにしようというリスクの回避でもある。
「どうする?」
選択肢はあげるよ。ノーだったらこれから外で適当に女を引っ掛けるか、なんて算段をつけながら、悩める青少年を見下ろして。
「や……ります、」
「オーケー、取引成立ね」
だから、一緒にいてください。なんてかわいらしいお願いをされてしまえば、唇を湿らせるしかない。さて、この子羊をどうしてやろうか。