hand



 新聞をめくる。マグカップを口に運び、傾けるときに見える手首の裏側。指の間に煙草を挟み、眼鏡のフレームを直す指先。

「……なに、どうしたの?」

 何かついてる? ソファで寛いでいた彼の隣に寝そべっていた俺は、視線に気がついたのだろう彼に耳の後ろをさらりと撫でられた。ぞわぞわと背筋に気持ちいいという信号が走っていく。

「なんでもないです」
「構って欲しいってことかな」
「それは、まあ、その、はい」

 日中忙しくしている彼に、自分の時間は大事にして欲しいとは思うものの、やっぱり構って欲しい気持ちはあるわけで。新聞を畳み、ローテーブルに置いたマグの隣にそれを投げた彼は、空いた手で俺の身体を簡単に膝の上まで引っ張り上げてしまった。両の手で頬を挟まれ、親指が悪戯に唇を撫でて割って入ってこようとする。硬い爪を食み、その指先を誘い込もうと口を開くと、するりと逃げてしまった。唇が尖っていたのだろう、ちゅっと可愛らしい音を立てて、彼のキスが与えられる。

「で、何見てたの?」
「……手?」
「手」
「なんか、でかいなって……」

 そうかな、言うと彼は俺の手を取って手のひらと手のひらを重ね合わせた。指先の向こうに見える、彼の指先。しかしそこまで、とても差があるわけではなかった。そのまま絡められた指、握られた手のひら。温かい手のひらの持ち主は心が冷たいというが、彼はそんなことはない。腰を抱かれ、キスをして、そのままソファに雪崩れ込む。脚の間に彼が滑り込み、だからその脚を腰に巻きつけて抱きついたら、膝の裏からハーフパンツの中の太腿まで撫で上げられて、俺はひっくり返った声を上げた。
 彼のどこが好きかと聞かれたら、そりゃあ優しくて、ダンスがとにかく格好いいところとか、身体の芯から震えさせるような歌声だったり、サングラスの下のきりっとした表情だとか、俺の名前を呼ぶときはそれが柔らかく解けていくのだとかいろいろあるけれど、俺はきっと、その中でも彼の手が好きだと言うだろう。
 彼の手は、大きい。サイズは、さっき手を合わせてみたときに改めて見てみたけれど、俺と指の関節一つも違わない。でも、厚さや指の太さが全然違う。
 もともと、三強の中でも背が低くても、体格で見れば一番だった人だ。あのパワーホールセッションのときの衣装も腹筋やたくましい腕を魅せつけるようなものだった。褐色の肌に銀に抜いた髪がそれはもう格好良くて、俺も義務教育が終わったら染めるんだと決めて今がある。
 ブレイクダンスはとかく体幹を鍛える必要がある。そして、それを支えるだけの筋力と。黒川冷に憧れてから、俺はあんなふうに踊れるようになろうと、ダンス教室の先生や、インターネットなんかで調べて体づくりをした。思うように動く身体はそれはもう、気持ちがいい。ああ、きっとあの人もこんなふうに感じていたのだろう。黒川冷が表舞台から姿を消してからも、彼のダンスを忘れる日はなかったし、彼のパフォーマンスを一つ一つできるようになるたびに、俺は彼に思いを馳せた。どうやってこの技をマスターしたのだろう。どうやってダンスを組み立てたのだろう。想像するだけで日がな踊っていられた日々。
 まさかその当人と恋人なんていう関係になるなんて、その頃の俺は思っちゃいなかった。今だって正直に言えば夢のようだ。そもそも男相手に、恋をする日がくるなんて。でも夢じゃないし俺は彼が好きで、好きでたまらない。彼も俺のことを好きだと言ってくれる、なんて幸せなことだろう。
 そんな彼の手が、俺は好きでたまらない。
 現役を退いてもなお、その身体が衰えていないことは既に知っている。何度も見た。腹なんてバキバキに割れてるし、腕はきっと俺の一回りは太い。高架下でダンスバトルをしたアレクサンダーと同じくらいかもしれない。羨ましいを通り越して感心するくらいにいい身体をしていたあいつの腕はそんなによく見てないけど、筋トレが趣味だとか言っていたから相当に鍛えているのだろう。彼は俺と身長が十センチと少しくらいしか違わないというのに俺のことをひょいひょい抱き上げるし、重い荷物や工具も軽々運ぶし(プリズムストーンの棚卸しの手伝いをした時に服が想像よりもずっと重いことを知った)、結構無理な体勢とかさせられることもあって(いつだ、っていうのは聞かないで欲しい)、つまりそう、魅せるための筋肉じゃなくて、実際に使うための筋肉だ。あの十代後半の頃からも増えたのだろう。もともと骨太だと言っていたところに、厚みが増したは間違いない。俺もそれくらいに筋肉をつけたいと思っても体質が左右する部分も大きい。無理をしてはいけないと耳に胼胝ができるほどに言われて、俺自身もちゃんとわかっているつもりだ。身長だってまだ諦めてない。男は二十歳くらいまで伸びるっていうよね、彼の言葉を信じてカルシウムを摂取する毎日だ。
 煙草や酒を早くに始めてしまったから、身長は伸び悩んだという彼。俺より十センチくらい高くて、いつもは見上げることになるけれど、一緒に寝るときは目線が近くなる。なぜなら彼は、決まって腕を差し出すからだ。はじめは何かわからなくて首を傾げた俺に苦笑した彼は引っ張って抱き寄せて、その腕の上に頭を載せた。いわゆる腕枕、間近で見る綺麗なひすいの瞳のとろけるまなざしに顔がかぁっと暑くなる。指の背が頬に触れる。今までにたくさんの作業をしてきたのだろうその指には、小さな傷跡がいくつもある。少しずつ薄くなっていくそれらは彼の通ってきた道を教えてくれるようで、どれもが愛おしい。とはいえ、腕枕なんてしたら朝には痺れてしまう。だから俺は気持ちだけ、と辞退した。のに。

「俺の夢を叶えると思って、ね、カヅキくん」

 大切な相手が出来たらしたかったのだと彼は言う。そんな風にお願いと言われてしまえば、俺は断る術を持っていない。寝心地は良くないかもしれないけれど、彼に見つめられて俺はそっと上腕に頭を乗せた。確かに寝心地は、よくはない。けれど嬉しそうに幸せそうに笑う彼が間近にある。抱き込まれるように胸に引き寄せられて、とくとくと聞こえてくる心音に耳を澄ませているうちに、俺はいつもあっさりと眠ってしまうのだ。温かくて、優しい音が聞こえる。彼のにおいはいつだって俺を安らかな気持ちにさせてくれのだ。
 翌朝、起きる時までそうやっていることもあれば、転がっていることもある。彼の腕枕で目覚めると、彼はとびきりの笑顔を見せてくれる。

「何、考えてるの」
「冷さんの、手のこと……っ、あ、んん、」

 風呂上がりの寝間着の下を這い回る手が、すっかり性感帯になってしまった胸の粒を捉え、こりこりと捏ねている。脚を撫でていた左手を蛍光灯に翳し、手、と彼は呟いた。さっきからそればかりだね。不満げだ。彼にとってはなんの変哲もないものだろう。それでも俺にしてみれば、彼を形作る大事なものだ。

「かっこいい、から、ンあっ! 摘んじゃ、やだ、」
「かっこいいかな」
「ん、ん、かっこいい、腕、太いのとか……ひ、ィッ!」
「ああ、ごめんね、痛かったね」

 びり、と鋭い痛みに襲われたのは、彼が爪を立てたからだ。きっともう俺の乳首はつんと立って、赤く実っている。めくられた寝間着、さっきから弄られっぱなしだった左の胸を、彼は今度はべろりと舐めてきた。ちりりと痛みが生まれる。それなのに彼の腿の上に乗せられた俺の股間はしっかりと反応してしまっていて、身体を倒している彼に当たっている。それを彼も分かっているから、俺の胸をいじるのをやめない。だって痛くて、気持ちいい。はあ、俺の口からは甘い吐息が零れ落ちる。

「手か。手ね……」

 その手がいつも俺を気持ち良くしてくれる。いろんなところを触って、時に摘んだり、揉んだり。それから、その指に身体の外も、中もくすぐられるのだ。がっしりとした作りの指が薄い桃色の粘液を纏って俺の中に入ってくる。はじめは一本、出し入れされて、増やされて、腰がぐずぐずになるまでゆっくりと解される。そして気持ちいいところをこりこりと探られると、俺はたちまち気をやってしまう。魔法でも使えるんじゃないだろうか。武骨な働く男の手指がそんないやらしいことをするなんて、背徳感に背が震える。

「真っ赤になって、何を思い出してるのかな、カヅキくんは」
「ぁあっ! っ、だから、れーさんの、手のこと……!」

 ぴん、と尖りを引っ掻いて、俺の身体がびくびくと跳ねたことに満足げに笑った彼が、人差し指と中指とを俺の口の中に突っ込んだ。噛むなよ、言われなくてもわかっている。舌を這わせていると裏側のところを探られ、かと思えば上顎をざらざらと撫でられる。俺が口の端からよだれを零している間に、器用に動く彼の手はその間に履いたばかりのハーフパンツも褌も剥いでしまった。皮膚の厚い親指が、半分隠れた先っぽをぐりぐりと擦る。

「今日はたくさん触ってあげる」

 好きなんだもんね、俺の手が。指を咥えたままこくこくと頷いた俺に、彼は至極楽しそうに笑っていた。
俺は、彼の手が好きだ。暖かくて、大きな手のひらと指はたくさんの作業をしてきたからか、皮膚が厚くて固い。彼の意思の通りに動く手は優しく、器用で、たまに意地悪だ。俺はそんな、彼の手がとても、とても好きなのだ。

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