朝日が瞼を焼く。黒川が目を覚ましたのは、アラームの鳴るほんの少し前のことだった。
(ああ、昨日は、そうだ)
浮上したばかりの意識が、一人のベッドでは得られない温もりをとらえ、その正体を思い出す。黒川の腕にぴったりと額を押し当てるようにして丸まっているアッシュグレーの髪の小柄な青年と、控えめに腕に触れながらベッドからはみ出そうな長身を沈めている青年。二人の温度の違うぬくもりが、黒川の心を埋めていく。
二人を起こさないように、そっと身体を起こしたつもりだった。しかし大きな方の子供は眠りが浅かったのか、瞼がふるりと震え、ぼんやりと美しいすみれ色の瞳を黒川に向けた。短く柔らかな髪を撫でてやると、気持ち良さそうにその瞳が細められる。普段険しい表情を見せることの多い彼の年相応の顔は、きっと黒川と、もう一人の子供しか知らないだろう。
「おはよう、アレクサンダーくん。俺は先に起きるから、ゆっくりおいで」
「うす……おはよう、ございます」
まだ半分眠りの中にいるらしい彼の声は、しかし目覚めに向けてはっきりとしてきているようだった。ベッドから降りても、もう一人の子供はまだ静かに寝息を立てていた。腕に掠めたセットされていない髪は少し痛んでいるようだった。プリーチに染色しているのだから仕方がないのもあるが、手入れについて少し気を遣った方がいい。今度風呂でやってやろう。
軽く顔を洗い、キッチンに立つと朝の一本。子供たちは気にしないで吸ってくれと言うけれど、今が一番いい時期の子供たちの前で堂々と吸う気にはならない。かつて黒川自身も立っていた、プリズムスタァ、アスリートとしての舞台はそんな生半可なものではないのだ。換気扇に紫煙が吸い込まれて行くのを見送りながら、朝食の準備に取り掛かる。ソーセージにサラダ、オムレツとヨーグルト。パンは二人が起き出してきてから焼けばいい。コーヒーは二人分。一番年下の、一番大きな子供はまだ舌が馴染まないようで、いつも紅茶を淹れている。見た目ばかりだと彼は言うけれど、大人でもコーヒーが飲めない者はいるのだからきにする必要はない。
「くろかわさん」
「やあ、来たね。皿を三枚と、パンをトースターに仕掛けてくれる?」
「はい」
ハーブのきいたソーセージがフライパンの中で油を弾いている。その間に三つ分の卵をボウルに溶き、水気を切った野菜を出してもらった皿に盛っていく。パンを焼き始めた大きな子供は、ぶつかりこそしないものの、背を少しかがめてキッチンから出て行った。もう一人を起こしに??何時ものことであれば、目が閉じたままダイニングに連れてくるのだろう。一人でする食事は味気ない、二人がいてくれるといつもより美味しく感じるね、と言った黒川の言葉を二人は覚えていてくれるのだ。長年連れ添ってくれた最愛の友人がとうとう居なくなってしまって、それからしばらく何を食べても味がしなかった。身体を維持するためになにかしらは摂取していたけれど、なにを食べていたのか全く覚えていない。その生活に終止符を打ってくれたのがあの二人、黒川に憧れてストリート系ダンサーを目指し、今やプリズムスタァの中でもトップクラスにいる大和アレクサンダーと、仁科カヅキだった。
焼き目のついたソーセージを、子供二人の皿に多めに入れ、たっぷりのバターで焼き上げたオムレツを並べ、完成だ。ちょうどのタイミングで焼けたパンにはなにをつけるだろう。ジャムと蜂蜜、それともバターか、テーブルに運んでいるうちにアレクサンダーが肩にカヅキを担いで姿を現した。抹茶色のパジャマのまま、目を擦りながら椅子に降ろされた彼は童顔なのも相まって小学生にも見える。それを言うと自覚はあるのだろうが拗ねるので、微笑ましく見守るだけだけれど。
「カヅキくん、おはよう。ごはんだよ」
「ぁい……おはよ、ございます……」
寝起きの悪さも、こうして彼らが訪れるようになって知ったことだ。彼の性格からして、すっきりと目覚めるものだと思い込んでいた節は否めない。もう少し、とブランケットに潜り込んだり、隣でどんなに話していても全く起きなかったり、こうしてダイニングに連れてこられても大きな琥珀色の瞳は半分以上閉じたままだ。そして、小さな手で白いマグを包み、ゆっくりと口に運びながら目覚めていく。
普段は違うんです、と彼は言っていた。仕事もあるし、目覚めにこんなに時間はかからないのだと。「クーさんと、アレクサンダーのそばって、すごく……なんていうか、安心するから」気が抜けちまうんです、どうしても、と申し訳なさそうにする彼が黒川は確かに愛おしいと感じた。アレクサンダーを見遣れば、仕方がないと肩を竦めてみせたので、それならばいつも頑張っている彼をここぞとばかりに甘やかしてやろうと決めたのである。無論、アレクサンダーのことだって忘れてはいない。こちらはカヅキが率先して構いに行く。出会いは最悪で最高だったとカヅキの言だが、一度和解に至ってしまえば、所属こそ違えどかわいい後輩に含んでしまうらしい。そういう分け隔てのないところが仁科カヅキの良いところだ。素直でないアレクサンダーも、そうやって構われるのは悪くない、そう彼の見せる行動や態度が語っている。
「冷める前に食べようか。いただきます」
「いただきます」
「いたーき、ます」
目の前に並ぶかわいい弟分。きらめきを失っていった生活に、再び明るさをもたらしてくれたもの。
「おいしい?」
二人が二人とも、それぞれの言葉で頷いてくれる。
このあたたかな日々が途絶えることがないように。黒川は過ぎ去った時間に思いを馳せながら、そう願って止まないのだった。