君の特別になりたいの


 仁科カヅキの周りには絶えず人がいる。無論、彼が一人になりたいと望めば叶うだろう。しかし、普段見かける姿は彼一人だけのものでないことがほとんどだった。
 今日もアレクサンダーはそんな仁科カヅキを倒すことを掲げ、高架下へと足を運んでいた。何度目になるかわからない勝負は未だ決着がつかないままだ。そもそもレベルの高いダンスバトルのジャッジに名乗りを挙げる者が少ない。高架下にある集うストリート系の者たちは揃って仁科カヅキに好意的であり、公平な判断は難しいと云うのだ。結局のところ、勝負が成立したのはエーデルローズ所属でありながら、シュワルツローズに生家が出資しているという理由で出入りしている十王院カケルがモニターにと寄越したジャッジメントシステムを用いた、一戦目だけだった。この日も、高架下には親しげに話しかけている相手に気取ることもなく対応しているカヅキの姿があった。
 誰かが話しかけると、途端に輪が生まれる。その中心はいつだって彼だった。次々に向けられる言葉に多少困惑を見せることもあるが、どれに対しても正面から向き合い、誠実な返事をするからこそ、仁科カヅキは好かれるのだろう。彼は逃げることをしない。アレクサンダーの知る限り、仁科カヅキが何かの出来事や言葉から背を向けすり抜けようとしたのは、一度きりだ。忘れもしない、アレクサンダーとのファーストコンタクトのときである。
 後から聞けば、Over the rainbowの活動云々で気掛かりが多かったのだということだが、一度口から出た言葉は消えるものではない。どんな理由であれカヅキが対決を避けようとしたーーそれが、アレクサンダーの中に棘を残している。カヅキもまたそれに気付いているのか、アレクサンダーの姿を見かけるとなにかと声をかけてくるようになっていた。
「よっ」
「……またヘラへラと、てめえは」
「話してただけだろ」
「そのツラだ」
 歩み寄るアレクサンダーに、取り巻きの中にいたカヅキが手を挙げた。ダンスバトルの時とは異なる、和やかな空気すら漂わせ、人好きのする笑みを浮かべているカヅキに、眉が寄る。腑抜けたツラをするなと苛立ちに任せ頬を
摘み上げると、「いて、おい、アレクサンダーっ」多少は焦りの混じった声色に変わった。ぺちんと力の入らない手で叩かれたのを合図に放してやったものの、僅かに赤くなったそこを押さえながら、カヅキは頬を膨らませた。
 まるで幼さを隠さないその姿に思わず「は、」笑いが漏れた。嘲るような響きはしっかりと伝わったらしく、憮然としたカヅキが溜息を一つ落とす。
「踊りに来たんじゃねえのか」
「相手してくれんのかよ、カリスマ」
「いつだって相手になるって言ってるだろ?」
 逃げも隠れもしない、堂々と告げる姿はいっそ眩しくすらあるものだ。なんだなんだと人波が割れ、二人の周りに小さな場が生まれる。誰かがかけたのだろう曲のイントロを合図に、視線が交錯した。
 ジャッジメントのいないダンスバトルに勝敗はつけられない。ゆえにこれはただ己の為だけ、それだけを目的したダンスだ。自由に、感情の全てを抛ち踊る。仁科カヅキがアレクサンダーのそれを受け、尚且つ打ち返してくるものを喰らい、生まれるもの。
(ああ、気持ちがいい)
 永遠に曲が続けばいいのにと願いそうになる、いつしかアレクサンダーはそれの虜になっていた。他の誰と踊っても得られないもの。仁科カヅキが相手でなければならない、アレクサンダーのエクスタシー。この身体を満たしてゆくものは、仁科カヅキの中をも侵していくのだろうか。クライマックスに向け迫力を増していくカヅキのオーラに、アレクサンダーを唇を舐める。
(もっと、もっとだ)
 高まるそれを受け止め、捩じ伏せられるのは己しかいないのだと、知らしめてやりたい。どんなに眩い煌めきにも飲み込まれることなく、それを上回る凶暴なまでの輝きで塗り替えてやる。そうして地を蹴り跳んだ瞬間に見た金色の瞳に浮かぶ闘志が、ちりちりとアレクサンダーの胸を焼くのだ。

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